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戦後の発展基盤確立

昭和26年~35年

 昭和27(1952)年4月、日本は戦後の占領時代を終え、独立国として国際社会に復帰した。日本経済は戦後の復興から新たな発展へと転じ、29年秋には高度経済成長のスタートを切った。

 復興から発展へという転換は、鉄道業界でも同様で、戦後の復興に一段落をつけ、輸送力増強と鉄道設備近代化への取組みを開始した。しかし当社は、幾度にもわたる統合によって発展を遂げてきたため、軌間や電圧が路線によって異なっており、それらを統一した鉄道網を構築することは積年の課題であり、輸送力増強のためにも不可欠のことであった。

 昭和26年12月、佐伯勇専務が社長に就任した。佐伯は48年5月まで21年余にわたって社長を務め、鉄道事業の整備・拡張、グループ事業の本格的拡大に精力的に取り組んでいった。佐伯社長は強力なリーダーシップのもと、日本有数の企業グループに成長させたことで、当社の「中興の祖」と称されている。

上本町・布施間の複々線完成(右:名阪特急、左:奈良線特急)
上本町・布施間の複々線完成
(右:名阪特急、左:奈良線特急)

 鉄道事業では、将来的な輸送力増強の必要性から、抜本的な大規模改良工事を断行した。最初が昭和31年12月に竣工した上本町・布施間の複々線化工事である。同区間の運転系統を大阪線と奈良線とに分離したことで、戦前からの懸案を解消し、大幅な輸送力増強を実現した。

 これに次いで着手したのが、当社の悲願であった名古屋線軌間拡幅工事であった。大阪線と名古屋線との軌間統一は、輸送力増強、所要時間短縮、車両の運用面などで大きな利点があった。名古屋線および神戸線((現)鈴鹿線)の82.7kmに及ぶ標準軌化は、わが国でも前例をみない大規模工事となった。

伊勢湾台風による被害の復旧工事(戸田駅・近鉄蟹江駅間)
伊勢湾台風による被害の復旧工事
(戸田駅・近鉄蟹江駅間)

 その工事の施行中に襲来した昭和34年9月の伊勢湾台風(台風15号)は、伊勢湾沿岸地域に大きな惨禍を招き、行方不明者を含む犠牲者5,000人余を出した。佐伯社長は、この大災害からの復旧とあわせて軌間拡幅工事を繰り上げて施行することを決断し、全社一丸となってこれに取り組んだのである。34年11月27日に軌間拡幅工事が完了し、その2週間後の12月12日、名阪直通特急の運転を開始した。さらに36年3月、伊勢中川駅付近に単線の短絡線を竣工させ、伊勢中川駅におけるスイッチバック運転を解消した。

初代ビスタカー(10000系)
初代ビスタカー(10000系)

 このような大規模な路線改良工事と同時に、当社は高性能車両の開発をはじめ、軌道設備、電力設備、通信設備など鉄道施設全般にわたって近代化を推進した。特急車内ではおしぼりサービスといった新機軸のサービスや車内冷房を実施したほか、列車公衆電話、シートラジオを設置した。昭和33年には世界初の2階建て電車である「ビスタカー」を投入し、大きな人気を博した。

2代目ビスタカー(10100系、昭和34年)
2代目ビスタカー(10100系、昭和34年)

 一方、当社のグループ事業が急成長を始めたのも、佐伯社長の就任以降である。佐伯社長は「総合多角経営」を掲げ、グループ事業の充実を積極的に推進していった。この時期において特筆すべきことは、既存事業の積極的な拡張に加え、新規事業やこれまで小規模な取組みであった事業へ本格的に進出し、将来の発展を期して事業基盤を確立したことである。

 積極的拡大を図った既存事業は、自動車事業、不動産事業および百貨店事業である。バス事業では、直営・グループ会社を問わず、路線を拡張していった。さらに、有料自動車道事業にも進出して、昭和33年8月に生駒山自動車道を開通させた。不動産事業では、25年7月に学園前住宅地の開発に着手し、総合的な街づくりとして、大規模な住宅地開発を行った。そのほか、上本町駅の拡張に呼応する形で29年に「近鉄会館」を竣工させた。また大量消費社会の到来に備えて、32年4月に近鉄百貨店阿倍野店の新館を竣工させた。

学園前住宅地(昭和35年)
学園前住宅地(昭和35年)

 この時代に本格的進出を果たしたのは、以下の事業であった。まずホテル事業では、昭和26年3月に京都の「都ホテル」に資本参加を行い、都市型ホテル分野に進出し、以後、近鉄グループとしてホテルの全国展開を図っていく基盤を固めた。また志摩地域を観光開発の最重点地域と位置づけ、26年4月にリゾートホテル「志摩観光ホテル」を開業し、以降の志摩地域開発の戦略的拠点とした。旅行業では、従来の事業をさらに発展させるため、30年9月に「近畿日本ツーリスト株式会社」を発足させ、全国規模での事業展開を開始した。そのほか、自動車販売事業として、27年10月に名古屋で「近畿日本モータース株式会社」を設立したのを皮切りに、東京・大阪でも販売代理店を開設した。これらの事業の多くは、グループ事業の柱として大きく成長を遂げていった。

 昭和35年9月16日、当社は記念すべき創業50周年を迎えた。同日、あやめ池円型大劇場で記念式典を挙行したほか、さまざまな記念事業を実施した。それらの記念事業のなかでも代表的なものが、東洋美術の逸品を収蔵した「大和文華館」の建設であった。同館は35年11月、学園前の丘陵地に開館した。

 この時代、当社は輸送力増強による鉄道事業の充実、新規事業への進出を含めたグループ事業の拡大により、強固な事業基盤を確立した。これを高度経済成長が次なる時代へと力強く前進させていった。

 なかでも鉄道事業では、特急サービスの充実や名古屋線軌間拡幅工事をはじめ、さまざまな施策により、旅客収入が大幅に増加し、昭和35年度の旅客収入は、25年度に対して3.3倍の増加となった。他の関西大手私鉄4社が同期間中、3倍前後であったことと比べると、当社は堅実に成長を遂げたということができる。

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鉄軌道線の推移(7)

出典:近畿日本鉄道100年のあゆみ

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