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新線建設・統合による基盤拡大

大正6年~昭和5年

畝傍線(現 橿原線)全通時の橿原神宮前駅
畝傍線(現 橿原線)全通時の橿原神宮前駅

 大阪電気軌道(以下、「大軌」という。)では、昭和2(1927)年3月に大槻龍治社長が辞任し、後任社長には、創業期から実質的な舵取り役を果たしてきた金森又一郎専務が就任した。金森社長は、大槻前社長の積極経営を引き継ぎ、伊勢方面への路線延伸を実現するとともに、名古屋方面への進出を推し進めた。

 大軌の積極経営は、西大寺・橿原神宮前間の路線敷設に始まった。大正12(1923)年3月に同区間が全線開業すると、上本町・西大寺・橿原神宮前(現在の橿原神宮前駅の西方)間の直通運転を行い、1時間20分で結んだ。さらに、橿原神宮への短絡をめざし、深江((現)布施)・国分・郡山間および国分・八木間の特許を取得した。 このうち、布施・国分・八木間は、昭和2年7月に全線で開業し、短絡が実現された上本町・橿原神宮前間の所要時間は55分となった。

 一方、奈良盆地から信貴山に至る路線の開業は、信貴生駒電気鉄道(後の信貴生駒電鉄)によって果たされていた。昭和5年12月には、大阪からの短絡を実現する目的で、大軌が山本・信貴山口間の運輸営業を開始、大軌傍系会社の信貴山電鉄が信貴山口・高安山・信貴山門間を開業した。

 大軌は、大正9年4月に高市郡八木町((現)橿原市)から宇治山田市((現)伊勢市)に至る路線を出願し、伊勢方面への進出に動き出した。このころ、伊勢方面への路線は競願状態となっており、大軌は免許を取得することができなかったが、大和鉄道が桜井・名張間の免許を得た。大軌は、同社の免許を手中に収めるため、大和鉄道を傘下に編入した。その後、大和鉄道を通じて名張・山田((現)伊勢市)間を出願し、免許を取得した。また、大軌でも同時に、空白区間であった八木・桜井間の免許を取得し、同区間は昭和4年1月に開業した。

 桜井・山田間の敷設工事は新会社に委ねることとし、昭和2年9月28日に「参宮急行電鉄株式会社」(以下、「参急」という。)が資本金3,000万円で設立され、社長には大軌の金森社長が就任した。同社の株式総数は60万株で、32万株を大軌の株主、20万株を大和鉄道の株主がそれぞれ引き受けた。なお、会社設立前に大和鉄道が有する桜井・山田間敷設免許の譲渡許可を得ていた。

工事中の青山隧道西抗口
工事中の青山隧道西抗口

 同区間において最大の難所とされた単線で延長3,432mの青山隧道(トンネル)掘削工事は、12人の犠牲を出しながらも完了し、昭和5年12月には全線が開業、山田・宇治山田間も6年3月に運輸営業を開始した。車両は最新鋭の「2200系」を投入して上本町・宇治山田間を2時間31分で結び、7年には2時間1分に短縮した。また、名古屋進出への布石として、一志郡戸木村((現)津市)から桑名駅付近に至る区間の免許を取得したほか、中勢鉄道を傘下に置き、5年4月に中川・久居間の免許を譲り受けた。

 大軌は路線拡張を図るなかで、周辺の各社を統合していった。その最初は天理軽便鉄道で、大正10年1月に同社から新法隆寺・天理間の事業を譲り受け、のちに上本町・天理間で直通運転を実施した。つぎに、自社の利益増進を目的として、鳥居前・宝山寺間で日本初の営業用鋼索鉄道を開業していた生駒鋼索鉄道を合併した。さらに、自社線を防衛するため、上本町・奈良間の並行線免許を保有する城東電気鉄道を合併した。その後大軌は、桜井・初瀬間の長谷鉄道を、伊賀上野・名張(後の西名張)間の伊賀電気鉄道をそれぞれ合併した。このうち、伊賀上野・名張間は、参急が大軌から施設を賃借して運輸営業を行うという形態を採用した。また、畝傍・橿原神宮前・吉野間の吉野鉄道も合併した。この合併は、大軌が同区間に並行する路線の免許を取得した際に付されていた統合の条件に基づき実施された。

花園ラグビー運動場(昭和4年)
花園ラグビー運動場(昭和4年)

 付帯事業については、昭和4年5月に大軌奈良駅を起点に春日奥山周遊道を一周する不定期遊覧バス路線を開設し、自動車事業に進出した。遊覧地の整備にも取り組み、大正15年6月に「あやめ池遊園地」、昭和4年3月に「生駒山上遊園地」を開園したほか、11月にラグビー部の本拠地となる「花園ラグビー運動場」((現)東大阪市花園ラグビー場)を開場した。また、大正13年12月に東大阪土地建物を合併し、土地住宅経営を本格化させた。そのほか、ターミナルビルの建設にも着手し、15年8月、上本町に「大軌ビルディング」を竣工させた。

大軌ビルディング
大軌ビルディング

 一方、越井醇三が社長となった河南鉄道は、大正8年3月に「大阪鉄道株式会社」に商号変更した。懸案であった大阪都市部への進出とともに、橿原神宮への延伸に取り組み、12年4月に道明寺・大阪天王寺((現)大阪阿部野橋)間を全線開業したのち、昭和4年3月には、古市・久米寺((現)橿原神宮前)間を開業し、大阪阿部野橋・吉野間の直通運転を開始した。

 また、伊勢鉄道では、大正11年3月に津市(後の部田)・四日市間が開業した。熊澤一衞が社長に就任した15年9月には、「伊勢電気鉄道株式会社」に商号変更し、以後、積極経営を展開した。その結果、四日市・桑名間を開業したのち、桑名・揖斐間の養老電気鉄道を合併した。さらに、昭和5年4月に津新地・新松阪間、12月に新松阪・大神宮前間をそれぞれ開業し、伊勢神宮に至る路線の整備を実現させた。

 上本町・奈良間が開業した大正3年当時、営業キロ30.8kmに過ぎなかった大軌は、鉄軌道路線の拡張を図った結果、昭和6年3月末時点で138.1km(大軌・参急合計266.6km)まで拡大させたほか、自動車事業や遊覧地経営なども始め、大正中期から昭和初期にかけて急成長を遂げた。大阪鉄道や伊勢電気鉄道でも急激な事業拡大をみせたが、大軌は、投資額のかさむ工事を別会社(参急、信貴山電気鉄道)に委ねるなど堅実な経営を行った結果、両社と比べて高水準の配当を継続させることができたのである。

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鉄軌道線の推移(2)

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鉄軌道線の推移(3)

出典:近畿日本鉄道100年のあゆみ

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