参宮急行電鉄

参宮急行電鉄

創業時から現在までに在籍した2000形車両を取上げることとし、初代の参宮急行電鉄(以下参急)デニ2000形、2代目の大阪線モ2000形、3代目の名古屋線2000系について述べます。

大軌桜井線乗入用区間車デニ2000形

  • 参宮急行電鉄
    狭軌化し、名古屋線で活躍する。四日市駅 昭和34年4月17日
  • 昭和4年1月大軌桜井線の布施~桜井が全通、相前後して参急も翌年12月に桜井~宇治山田が全通しました。 この様な状況の中で、大軌では従来の奈良線用小型車両とは別に直流1500V用(桜井線と参急線は同じ電圧)の大形車両(デボ1000形他)が昭和4年3月に登場していましたが、参急では大軌と参急の直通乗入用区間車両が必要となり、昭和5年3月に登場したのがこのデニ2000形(当初2000~2007の8両)です。 車両長さは19m、半鋼製車両で、車体長さは1929年度の参急、大軌車両として18.3mと合わせ、リベット締め構造の手荷物室付合造車です。 定員110 人、出力112kW×4、自重43.9tで、昭和5年度に登場する参急の名車デ2200形に比べ一まわり小型です。 この車両の運用としては、既に全通していた大軌桜井線の桜井から、参急線が順に東の方へ開通区間を延ばしてゆく過渡期に大軌~参急の直通運転に、主として単行で使われ、大軌、参急が通しで全通するにおよび、東の津支線(中川~江戸橋の広軌区間)の区間運用に使用されていました。 昭和11年9月、伊勢電気鉄道(桑名~大神宮前、狭軌)を吸収合併後津支線が狭軌に変更、この車両も台車まわりを奈良線車両に譲り、新たに同系の狭軌用台車を装備し、名古屋線所属となり、形式もモニ 6251形(6251~6258)と改称されました。 第二次世界大戦中に6251、6255を焼失(後にモ6261形として復旧)6両の世帯となります。 昭和34年12月の名古屋線広軌化に際し再度改軌(シュリーレン型台車を装備)、後に更新工事に際して窓上下のリベット締めの帯を廃し、ノーシル、ヘッダーの溶接構造車体となりました。 その後昭和49年に廃車となりました。

戦後復興第一陣モ2000形(大阪線用)

  • 参宮急行電鉄
    長谷寺付近急坂を駆け降りるモ2004
  • 戦後の大阪線最初の新造車として昭和23年7月モ2000形(当初2000~2009)、ク1550形(当初1550~1554)計15両が登場しました。 戦後の資材不足の時代に製造されたため、品質、出来栄えは現在の常識とはかなりかけ離れてはいましたが、従来の車両が戦時中の酷使によって相当に荒廃していた状況の中で、昭和14年に登場したモ1400形以来9年ぶりに新車が登場、車体長20m、巾2.7mの大型車で、しかも窓ガラスが全部入った明るい車内、乗客にとってどれ程心強かったことだろうと想像されます。 性能も出力150kW×4、MMC形多段式コントローラーを装備し、従来車両に比べ高加速性能を誇った。 運用は主として上本町~国分の各停で、同系のトレーラーを間にMTMの3両編成で使用されました。 後にラッシュ対策のため中央入口を拡巾、両引戸に改装、昭和42年全車廃車されました。

3代目2000系(名古屋線用)

昭和53~54年に登場したMcMTc3両ユニットの名古屋線通勤車両で、モ2000形偶数車が運転台付、同奇数車が運転台なし中間車両、ク2100形が名古屋寄制御車で、3両×12編成、計36両製造された。 本系列は、昭和53年から順次廃車されたビスタカーII世10100系のモーター(125kW)を再利用して登場しましたが、再用に当り132kWに出力アップ改造がなされました。 又当初から冷房装置を装備し、中間M車にパンタ2台を装備、1C8M制御方式、車体は昭和32年登場の南大阪線用6800系(通称ラビットカー)以来連綿と続いている通勤車標準車体です。 現在でも名古屋線で各停、準急、急行運用で使われています。

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