大軌デボ1000形

大軌デボ1000形

大軌初の大型車

  • 大軌デボ1000形
  • 大軌デボ1000・1100・1200・1300形は、大軌桜井線と参急本線が全通し、参急デ2200系が上本町~宇治山田間の直通急行を受け持つのに対して、上本町~名張間の区間普通列車用として建造されました。 近鉄大阪線の初代通勤形車両に当たります。 大軌奈良線の車両は旧・生駒トンネル断面の制約から、幅2.5m、長さも15mどまりの小型車で、桜井線でも部分開業時にはこの車が使われていました。 デボ1000形一党は車体幅2.7m、全長は19~20mを超える大軌初の大型車となりました。 これは現在の近鉄車両寸法の基をなしています。

    昭和4年に竣工した1000形8両と1100形2両は、d1D5D5D1d窓配置の19m3扉車。翌昭和5年の1200形4両と1300形16両は、d2D5D5D2dで我国初の20m3扉車となりました。 魚腹台枠、半鋼製車体、平妻貫通式、両運転台、2段上昇窓、内照車番付き箱形前照灯、AMM空気制動、149.2kW主電動機4台装備などは全形式に共通です。 上本町~布施間は600V区間を奈良線と共用するため600/1500V複電圧装置を有していました。 1000・1100形に比べて1200・1300形では車体延伸以外に手動加速制御が自動制御になったのが大きな相違点です。 通風器、扉幅も変更されました。1000形にはウェスチングハウス社製主電動機、制御器が採用されましたが、1100形以降は国産機器となりました。 また台車、パンタグラフは形式により違いがあります。箱型前照灯は電車では大軌のほかにはなく、さらに1000形には当初、妻面の前照灯下部にも内照式車番表示板が掲げられひときわ印象的でした。 登場後1100形にWC設置、1200形に発電制動装備、昭和12年1006、1007に荷物室区画設置、昭和18年には1100形の電装解除が行われています。

名優2200系の脇役

端整な形態と高性能を持ちながら、華やかな参急2200系の陰で地味な役を果たすなかで、昭和7年11月、1308号のお招電車徴用は戦前私鉄ではまれな事例でした。 一方1000形は手動制御のため同形だけで編成を組むほか、荷物電車や奈良線車両の高安工場入出場時の小阪車庫との間での牽引推進役などの裏方としても大いに活躍しました。 昭和16年関急になって記号がデボからモに変更されました。

大軌デボ1000形
奈良車両を高安へ牽引してきた1002
昭和16年
大軌デボ1000形
竣工写真・汽車製造会社
大軌デボ1000形
国分駅にて 昭和27年5月3日
大軌デボ1000形
現在とはすっかり風景が変わった
国分付近 昭和28年4月19日

戦後の近代化と変容

戦後昭和23年に製造された2000系モ2000形・ク1550形は、制御器に多段式のMMC、空制装置はAMAを採用、1000~1300形もこれに合わせて換装されました。 これによって1400系を除くすべての区間車が任意に編成が組めるようになりました。前照灯も円筒形の一般タイプに取り替えられ形態の平凡化は否めませんでした。
新(高)性能車の登場後は、その流儀に倣って各形式の一部車両が両開扉、1段下降窓、片運転台化などの改造を受け、室内もアルミ基板メラミン樹脂化粧板による改装が施行されました。
昭和35年の0番廃止で各形式00号車が改番消滅しました。 ク1100形は付随車に改造されサ1100形に、さらにサ1510形と改称されました。
戦前~戦後の約40年間、名張以西の区間輸送の主であった1000~1300の各形式も、昭和46年から昭和48年にかけて順次廃車解体され姿を消していきました。 1000・1100・1200・1300は2代目形式として高性能車に復活しています。

大軌デボ1000形
ラビットカー色の試験塗装車 高安
大軌デボ1000形
マルーンレッドに
銀帯の試験塗装車
地上駅時代の布施駅
昭和37年9月26日
大軌デボ1000形
キリッとしたボディに
シャープなマスク
高安駅 昭和28年3月31日
大軌デボ1000形
急行「あかめ号」として急坂を
駆け上がる三本松付近

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