モ600形 / モ430形 / モ400形 / モニ220形 / モ200形

モ600形

  • モ600形
    生駒~富雄間を走行中のモ605ほか3連の奈良行き急行。
    昭和34年1月18日
  • 昭和10年、大阪電気軌道が奈良線の主力車両として新造した半鋼製電車です。 車体長は15mの小型で、片側2扉で片運転台と両運転台の2種類があり、片運転台の一部は非貫通式でした。 昭和3年に製造したモ400形に比べ主電動機容量を78kWから112kWと大きくし、付随車を組み込んだ編成での走行が可能でした。 戦後も増備を行ないましたが、昭和39年新生駒トンネルの完成に伴い奈良線車両の大型化が進められ、京都線、橿原線での運用が多くなりました。 昭和44年には電車線の昇圧に対応するため、一部車両を制御車化するなどの改造を行ない、形式および車番を改めました。 昭和51年までに廃車しました。

モ430形

  • モ430形
    地上駅当時の奈良電気鉄道京都駅で
    発車を待つデハボ1013。昭和27年3月5日
  • 昭和3年、奈良電気鉄道(現京都線)が開業時に新造した半鋼製電車です。 当時の形式はデハボ1000形と称し、車体は、両運転台の17m長の片側3扉で、当時カウキャッチャーが取り付けられていました。 昭和38年の合併後モ430形に改称し、京都線を中心に運用しました。 24両製造しましたが、貨車に転用した5両を除き、昭和44年の電車線昇圧時に廃車しました。

モ400形

  • モ400形
    残雪の富雄駅付近を行く400系による
    奈良行き急行列車。昭和38年3月14日
  • 昭和3年から昭和7年にかけて奈良線用として新造したデポ300形、103形、208形、211形の半鋼製車両を昭和25年に統合してモ400形としました。 車体は15m長の片側2扉で、デボ300形、211形は急行運転用のため正面非貫通式で片運転台、デボ103形、208形は普通運転用で、貫通式の両運転台構造としました。 昭和44年の電車線1500V化時に一部を廃車するとともに制御車に変更して、形式をク300形とク550形に改め、生駒線、田原本線等で運用後、昭和51年までにすべて廃車しました。

モニ220形

昭和6年、軌間762mmの特殊狭軌線の北勢軽便鉄道(現北勢線)が電化時に新造した半鋼製電車です。 当時の形式はモハニ50形と称し、車体は長さ10.9m、幅2.0m、高さ3.1mの両運転台付、片側2扉の小型車です。 運転室の後には荷物室を設けていましたが、昭和53年に客室化し、形式をモ220形に改めました。 6両製造し、戦後に1両増備して7両となりました。 平成4年の廃車まで約60年間運用しました。

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2両固定化された晩年の姿
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クリームとグリーンの旧塗装時代のモニ220形。朝顔型連結器が軽便鉄道の雰囲気を漂わせる。昭和28年9月9日

モ200形

大正3年4月、大阪電気軌道が大阪~奈良間開業に備え、新造した木造電車です。 当時の形式はデボ1形と称し、ポールによる集電方式でした。 車体は15m長、片側3扉で、正面は半円形の5枚窓とし、乗降用ステップをなくした平床構造です。 また、生駒トンネル付近の連続勾配を走行するため、主電動機は当時では大容量の123kWで、電気制動付でした。 戦後も鋼体化改造を行なわず、橿原線、天理線等にも木造車のまま運用しました。 昭和40年、モ212号をベースにデボ1形が復元され、五位堂検修車庫に展示保存しています。

6400系
天理線平端付近の佐保川橋梁を行く
モ200形3連。昭和29年1月17日
mo200_3
五位堂検修車庫に展示保存
される復元されたデボ1形。

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