名古屋線 後編

伊勢中川~近鉄名古屋
78.8キロ 1,500V 標準軌
  • 名古屋線の複線化工事
  • 大阪電気軌道(近鉄の前身)は、姉妹会社・参宮急行電鉄と1941(昭和16)年3月合併し、社名を関西急行鉄道と改称。 1944(昭和19)年には、南海鉄道と合併して近畿日本鉄道を設立しました。
    伊勢中川での乗り換え輸送は、社名が近鉄になった戦後も引き続いて実施されましたが、名阪直通運転は名古屋線開通以来の悲願でした。

  • 11月20日江戸橋駅に到着した標準軌初列車
  • 名古屋線の広軌化を1958(昭和33)年9月から計画し、準備をすすめていたところ、1959(昭和34)年9月、伊勢湾台風により、名古屋線は甚大な被害を受けました。 しかし、台風による水没区間復旧を機に、名古屋線80キロ標準軌化を一挙に(11月19日~27日)完工する大事業を完了し、62日間で全線復旧、広軌化を成し遂げました。

  • 直通運転開始の新聞広告
  • 名古屋線の軌間拡幅工事が完成したあと、同年12月12日から大阪~名古屋間に、新造のビスタカー2世による直通特急の運転を開始しました。 所要時分は2時間35分。 伊勢中川で乗換えの不便もなく、快適な乗心地が好評を博し、のち、特急ネットワーク形成の礎となりました。 その後、ビスタカー3世、アーバンライナーが登場し、関西と中京のニ大都市を結ぶ動脈として親しまれています。

思い出の車両 モニ6261形

  • 製造当初のモ6262
    塩浜駅、1950(昭和25)年
  • 1947(昭和22)年に名古屋線用として新造した半鋼製電車。 車体は片側3扉の両運転台貫通式で、車両長は19メートル。 戦後の復興期の製作のため、側扉窓や正面貫通扉窓は多くの桟によりガラスは小さく分割され、破損を防ぐと共に物資の不足を象徴していました。 輸送力を確保するため座席はロングシート。 7両製造し、名古屋線の通勤車として運用しましたが1974(昭和49)年全車廃車しました。