南大阪線
南大阪線の歴史は1896(明治29)年3月に資本金30万円をもって設立された河陽鉄道が、2年後の1898(明治31)年3月、柏原~古市間4.3キロを蒸気機関車によって営業を開始したときに始まります。 現在の近鉄を構成する路線の中で最古の歴史を持つのが、この区間なのです。
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1899(明治32)年5月、河陽鉄道の事業を河南鉄道が継承、富田林~長野間を開通させました。 1919(大正8)年河南鉄道は社名を大阪鉄道と変更し、1922(大正11)年4月道明寺~布忍間、1923(大正12)年4月布忍~大阪天王寺間を複線開業して、大阪進出を果たしました。
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奈良県側に路線を延長するために、大阪鉄道は1926(大正15)年11月、南大阪電気鉄道を合併し、1929(昭和4)年3月、古市~久米寺(現 橿原神宮前)間を開業し、同時に吉野へ乗り入れを開始しました。 大阪~橿原間では、大阪電気軌道の上本町~八木~橿原神宮前間のルートもあるため、同区間では、大阪鉄道と大阪電気鉄道とはライバル関係にありました。
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大阪鉄道は大和延長線で多大の借金を負うことになり、不況の影響もあって苦難の道を歩むことになります。 1941(昭和16)年太平洋戦争が勃発し、国策上の要請もあり1943(昭和18)年2月1日、大阪鉄道は関西急行鉄道(昭和16年に大阪電気軌道から社名変更)と合併。 関西急行鉄道は翌年6月1日南海鉄道と合併し、近畿日本鉄道になりました。
思い出の車両 モ6601形
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1928(昭和3)年8月に大阪鉄道が吉野鉄道との直通運転用として新造した半鋼製電車、当時の形式はデニ501形と称し片側2扉で、わが国初の20メートル長の大型車でした。 車内は中央部がクロスシート、出入口付近がロングシートのセミクロス式で、35両を製造しました。 1939(昭和14)年にロングシート化、戦後には3扉化などの改造を行い、1974(昭和49)年まで運用しました。