信貴線
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関西有数の霊場信貴山毘沙門天への交通機関としては、1922(大正11)年奈良県側に信貴生駒電鉄(現・生駒線)が開通しました。 一方、大阪からの便を良くするため、西ルートとして、1930(昭和5)年大阪電気軌道(大軌)が開通させたのが信貴線でした。 同時に、鋼索線(信貴山口~高安山間1.3キロ)、山上鉄道線(高安山~信貴山門間2.1キロ)も開業。 上本町~信貴山門間を40分で結ぶ新路線が誕生しました。
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なお、信貴線は信貴山口からさらに北上して、奈良線枚岡までつなぐ予定でした。 しかし諸般の事情により7年後、計画は中止となりました。 第2次大戦中、東西2つもルートを持つのはぜいたく?と、西側ルートは一旦消滅しましたが、1957(昭和32)年3月に鋼索線が再開。 上本町~信貴山口直通電車も復活しました。 現在は信貴線内のみの折り返し運転です。 山上線は1957(昭和32)年3月運輸営業廃止。
思い出の車両 モ1450形
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1952(昭和27)年、大阪線通勤車として製造した1560形2両を2年後に高性能車両に改装。 制御方式は2両8個の主電動機を1個の制御器で行う8M制御。 ブレーキは改良形の自動ブレーキ。 台車は円筒軸箱案内式に平行カルダンの駆動方式を組合わせたもの。 いわば試験要素の高い車両で、その後の高性能車両の基本となりました。 1450系は後続の1460系とともに上本町~信貴山口間列車に使用されることが多く1985(昭和60)年廃車となりました。