大阪線 後編(桜井~伊勢中川)
-
-
桜井~参急中川間は大阪電気軌道(大軌)の姉妹会社、参宮急行電鉄(参急)が工事を進めました。 1928(昭和3)年3月全長3,432メートルの青山トンネルの掘削から着手。 山岳地帯には大小16ヵ所、延長9,583メートルのトンネルを掘削、また全線で135ヵ所、延長3,633メートルの橋梁を架設し、231万立方メートルの切り土と260万立方メートルの盛り土を行うなど幾多の難工事を着々と進め、1930(昭和5)年12月20日、開通。 これにより大軌と参急の相互乗入れという形で大阪~伊勢間が全通。 名車デ2200系がさっそうと駆け抜けました。
-
-
大阪線は、1930(昭和5)年の開通当初、名張~参急中川間41.7キロが単線でしたが、1959(昭和34)年から逐次複線化を進め、1967(昭和42)年には伊賀上津~伊勢中川間に17.9キロの単線を残すのみとなりました。 この区間は大部分が急俊な山岳地帯で、その複線化は相当な難工事とされていました。
-
-
1972(昭和47)年8月、伊賀上津~伊勢中川間の複線化工事に着工し、2年後の8月までに延べ9.7キロの区間を逐次開通させました。 最大の難所であった新青山トンネル(私鉄最長の5,652メートル)の掘削とその前後の区間も1975(昭和50)年11月完成、着工以来3年4ヵ月の歳月を経て全工区滞りなく竣工しました。
思い出の車両 2227系
-
-
1939(昭和14)年から1941(昭和16)年にかけて新造した半鋼製電車。 150kwの大容量の主電動機を使用。 車体長20メートル、片側2扉、ホイールベース2.7メートルの大型台車および転換式クロスシートを採用。 1947(昭和22)年には一部の車両を除き、大阪線特急用として車内設備等の改造を行い運用しましたが、2年後には再び急行用として運用。 1961(昭和36)年に片側3扉化、1981(昭和56)年のモ2237を最後に廃車しました。