志摩線
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志摩線の歴史は古く、1929(昭和4)年7月23日、志摩電気鉄道により鳥羽~真珠港間全線を開通。 当時の軌間は、国鉄(現JR)と同じ1,067ミリ、電圧は600V。 賢島~真珠港間では貨物列車のみが運転されていました。 1944(昭和19)年、三重交通志摩線となり、1965(昭和40)年には合併により近鉄の仲間入りを果たしました。
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万国博覧会関連事業として、鳥羽線の建設と同時進行の形で志摩線の改良工事を実施。 全線を標準軌化(1,435ミリ)、電圧も1,500Vへ昇圧、急曲線など8カ所の線形改良を行い、1970(昭和45)年3月に完成しました。
末端のローカル線であった志摩線は、近鉄との合併後、数年の間に特急運転路線に生まれ変わりました。 しかし、単線のため、列車の増発や増結、スピードアップには限界がありました。 このため、1986(昭和61)年から逐次複線化が進められ、現在では延べ4.3キロの区間を残して複線化が完了。 また、賢島~真珠港間0.3キロは1969年(昭和44)年7月1日廃止されました。
思い出の車両 モニ5921・モニ5922
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志摩電気鉄道が創業に際して新製した車両。 半鋼製車で、妻面は非貫通3枚窓、賢島寄に荷物室、深い屋根、高い位置にある下降窓など、ローカル線にピッタリしたスタイル。 一見して昭和初期の地方鉄道とわかる風貌です。 1969(昭和44)年12月、共に廃車。