モ5601形 / モニ5181形 / モ5151形 / モニ5001形

モ5601形

  • モ5601形
    河内松原付近を行くモ5605+モ5608。
    ドアや明かり窓に特徴が見られる。昭和31年2月14日
  • 大正12年4月、大阪鉄道(現南大阪線)が布忍~阿部野橋間開業に伴い新造した木造電車です。 当時の形式はデイ1形と称し、集電装置にパンタグラフを使用し、車体の正面は大阪電気軌道のデボ1形と同じ5枚窓で15m長、片側3扉です。 近鉄に合併後はモ5601形に改称、昭和30年に鋼体化改造を行ない、モ5801形となりました。 昭和45年には養老線(現養老鉄道)に移籍、約9年間運用後廃車しました。

モニ5181形

  • モニ5181形
    伊賀線(現伊賀鉄道)上野市駅に停車中のモニ5186+モニ5184。トラス棒と車体を覆うようなリベットが製造年代を感じさせる。昭和30年9月11日
  • 大正15年5月、伊賀鉄道が電化時に新造した半鋼製電車です。 当時の形式はデハニ1形と称し、車体は両運転台付、15m長の片側2扉で、運転室の後には荷物室が設けられています。 昭和16年にモニ5181形に改称し、昭和52年の廃車まで殆ど大きな改造なしに運用しました。

モ5151形

  • モ5151形
    製造間もない頃のテハ1形。
    ラセン連結器と円板型の緩衝器が見える
  • 大正12年11月、吉野鉄道(現吉野線)が橿原神宮前~吉野口間の電化時に新造した木造電車です。 当時の形式はテハ1形と称し、集電装置にパンタグラフを使用し、車体の正面は平面3枚窓の非貫通式で、16m長、片側3扉です。 6両製造し、近鉄に合併後はモ5151形に改称しました。 戦後、鋼体化改造が行なわれる中、木造車のままで4両は道明寺線、御所線、2両は伊賀線(現伊賀鉄道)でそれぞれ運用し、昭和35年から36年に廃車しました。

モニ5001形

大正2年7月、養老~池野間が開通した養老鉄道が大正12年5月に揖斐川電気鉄道に改称され、桑名~揖斐間の全線電化の完成時に新造した木造電車です。 当時の形式は1形と称し、集電装置にパンタグラフを使用し、車体は両運転台、15m長の片側3扉で、内1扉は運転室後の荷物室用です。 後にモニ5001形に改称し、昭和30年に鋼体化改造、昭和39年に荷物室を撤去すると共に片運転台化しました。 昭和45年から46年に廃車しました。

  • モニ5001形 パンタグラフを取り替えた戦後の姿。
    パンタグラフを取り替えた戦後の姿。
    養老線(現養老鉄道)揖斐駅、昭和27年9月22日
  • モニ5001形 原型を保っていた戦前の姿。
    原型を保っていた戦前の姿。
    昭和12年7月

近鉄の名優一覧

年代別一覧

形式別一覧