田原本線
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田原本線の歴史は古く、田原本鉄道として1911(明治44)年に免許を受けたのが始まりです。 大和鉄道と改称して1918(大正7)年4月26日に現在の路線が開通しています。 その後、路線は桜井まで延びさらに名張、宇治山田へと延長計画をたてましたが、大阪電気軌道・参宮急行電鉄との競争に破れその傘下に入りました。 大和鉄道は、1961(昭和36)年信貴生駒電鉄に、1964(昭和39)年に近鉄に合併されました。
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開業当時は1,067ミリ軌間の蒸気鉄道で、国鉄から直通の貨物輸送も行われていました。 次いでガソリンカー、木炭代燃車が登場。 600V電化は大和鉄道時代の1948(昭和23)年6月15日、同時に狭軌から標準軌(1,435ミリ)に拡幅。 1969(昭和44)年には1,500Vに昇圧しています。
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田原本線は王寺で接続する生駒線とともに、奈良線の小・中型車の活躍の場でしたが、1992(平成4)年3月のダイヤ改正を機に大型車の8400系3両編成が投入されました。 併せて全列車でワンマン運転を実施しました。
思い出の車両 モ400形
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1928(昭和3)年から1932(昭和7)年にかけて奈良線用として新造したデボ300形、103形、208形、211形の半鋼製車両を、1950(昭和25)年に統合してモ400形としました。 車体は15メートル長の片側2扉。 デボ300形、211形は正面非貫通式で片運転台、デボ103形、208形は貫通式の両運転台構造。 1969(昭和44)年の電車線1,500V化の後、一部を制御車に変更して生駒線・田原本線等で運用。 1976(昭和51)年までにすべて廃車しました。