昭和36年~46年

高度経済成長期の輸送力増強

日本経済は、「いざなぎ景気」の到来により、昭和40(1965)年10月から45年7月まで景気拡大が続いた。

高度経済成長に伴って大都市圏への人口集中は加速し、通勤・通学輸送の混雑緩和が喫緊の課題となっていた。 これを受けて、昭和36年、大手私鉄14社は以後36年間、8次にわたって取り組むこととなる「輸送力増強計画」のスタートを切った。

当社は、昭和36年度において、旅客収入が108億7,000万円、鉄道従業員数が8,390人と、全国私鉄のなかで最大の規模であった。

  • 新しい生駒トンネルと祝賀列車(生駒口)
  • 鉄道事業では輸送力増強計画に基づき、昭和30年代後半から40年代初めにかけて、奈良線に大型車を運行させるため新たな生駒トンネル建設を含む奈良線改良工事を施行した。 また、当社は奈良電気鉄道、信貴生駒電鉄、三重電気鉄道の各社をそれぞれ合併し、近畿・東海地方における鉄道網を充実させた。

また、昭和39年10月の東海道新幹線開業にあわせ、それまで名阪特急が中心であった特急網を見直し、京都・宇治山田間、京都・近畿日本奈良間、大阪阿部野橋・吉野間などで順次、特急の運行を開始した。

  • 近鉄奈良駅および
    付近線路地下移設工事の様子
  • 昭和40年代前半は、45年3月開催の日本万国博覧会に照準をあわせ、大規模な整備事業に次々と取り組んだ。 そのなかでも「万国博関連三大工事」と呼ばれたものが、「難波線建設」、「近畿日本奈良駅および付近線路の地下移設」、「鳥羽線建設、志摩線改良」の各工事であった。 大阪都心部への乗入れとなる難波線は、大型機械シールド工法を利用した難工事の末、竣工した。 近畿日本奈良駅および付近線路の地下移設は、併用軌道を解消するもので、交通渋滞を改善するとともに当社の輸送力増強に大きく寄与することとなった。 鳥羽線建設と志摩線改良により、大阪、京都、名古屋から賢島までの直通特急の運行が可能となった。 いずれの工事も45年3月までに完了し、無事日本万国博覧会を迎えることとなった。

日本橋に到達した
大型機械シールド(昭和44年)
宇治山田・五十鈴川間で
建設中の高架橋
日本万国博覧会会場内の
「近鉄レインボーロープウェイ」
  • 「エースカー(10400系)」
  • このような大規模工事の一方で、都市計画に沿った線路高架化をはじめ、電車線電圧の昇圧、自動列車停止装置(ATS)の導入など、輸送力増強や運転保安度向上に取り組んだ。 また、特急「エースカー」、「スナックカー」や団体専用車「あおぞら」など、性能やサービスの向上をめざした車両を新造した。

    グループ事業では、高度経済成長を背景として、沿線地域のみならず関東・北陸から九州に至るまで、交通関連事業の拡大および生活関連事業の積極的展開を推し進めた。

バス事業では、直営・グループ会社ともに事業拡大を進める一方、ワンマン化や車両の大型化などの効率化にも取り組んだ。 昭和40年3月には、日本高速自動車株式会社が名神高速道路において高速バスの運行を開始した。 また、グループ会社による貨物運送事業は、積極的な路線拡張により全国規模へと拡大した。

  • 団体専用列車「あおぞら」
    (昭和37年、20100系)
  • 百貨店事業では、昭和40年4月、第2次増築工事を終えた近鉄百貨店阿倍野店が全館営業を開始、44年11月には上本町ターミナル整備の第1期工事として上本町店の増築を行った。 また、41年4月には京都に本社を置く丸物に資本参加するなど、グループ百貨店の店舗展開も推進した。

    不動産事業では、学園前住宅地に続く大規模な土地・住宅開発として、名張市で桔梗が丘ニュータウンの開発に着手し、昭和39年に分譲を開始した。 その他、都市近郊の住宅需要に応えて、沿線の各地で土地・住宅開発を展開した。

    ホテル事業では、都ホテルブランドによる展開を開始し、昭和30年代後半に大阪、金沢、名古屋に相次いで都ホテルを開業した。

また、日本万国博覧会開催時期に、伊勢志摩を「万国博第2会場」と位置づけ、近鉄グループが総力を挙げて取り組んだのが、志摩地域に主眼を置いた伊勢志摩総合開発である。 鳥羽線建設、志摩線改良により、この地域への特急によるアクセスを向上させたほか、志摩観光ホテルの増築による宿泊施設の拡充、ゴルフ場「賢島カンツリークラブ」や海洋博物館「志摩マリンランド」の新設、賢島別荘地の分譲、賢島大橋の建設など、整備内容は多岐にわたった。

昭和45年9月16日、当社は創業60周年を迎えた。 記念事業として、生駒山宇宙科学館、奈良近鉄ビルにおける「歴史教室」の開館などを行った。

このように、この時期の当社は、日本万国博覧会の開催へ向けて、鉄道事業、グループ事業ともに大規模な整備事業に取り組んだ。 これによって、当社の事業基盤は一段と強化されたのである。

鉄道事業では、「万国博関連三大工事」による輸送力増強、特急網の充実などの施策により、旅客収入は昭和35年度の96億円から46年度には384億円へと4.0倍に増加した。 当社を除く関西大手私鉄4社が2.7~4.7倍の伸長であったことを考慮すると、この時代も当社は順調に成長を遂げていったといえる。

出典:近畿日本鉄道100年のあゆみ